要約
大阪堀江に位置するサムハラ神社は神様のお力を宿した「サムハラ」という4文字の神字が記された肌守りや御神環が厄よけや縁結びに効果絶大だとSNSなどでも話題沸騰中です。
今回はそんなサムハラの発祥の地として知られる岡山のサムハラ神社奥の院をご紹介します。こちらの神社も合わせて訪れるとさらにご利益をいただけるかもしれませんね。
目次
サムハラの聖地 サムハラ神社奥の院とは?
その起源は相当古いものとする見方が強く、岡山県北部の山間部に位置する苫田郡西加茂村(現・岡山県津山市加茂町)でひっそりと古くから信仰されてきた神社です
奥の宮の位置する日詰山という山には地元で「こんぴらさん」と呼ばれ馴染まれている氏神様を祀る金刀比羅神社も。
ここ少し奥に歩くとサムハラ神社をお参りする事ができます。
ちなみに金刀比羅神社から少し山を上がったところには、枝を大きく伸ばした大木が地元で有名な『若一(にゃくいち)神社』(立身出世のご利益)も。
奥の宮は2005(平成17)年に移築遷宮されています。神字で「サムハラ」と鳥居と祠、石碑に刻まれています。
*石段が多いので、参拝時は歩きやすい靴を。
戦後に建立された大阪堀江のサムハラ神社がきっかけで、その存在が知られるようになり最近では各種メディアでも「最強神社」として取り上げられるなど、パワースポットとしてのサムハラ神社の評判が高まりつつあります。
ちなみに大阪にサムハラ神社を築造した田中富三郎氏もこちらのご出身。
サムハラ大神の御神体であるとされる石が祀られた古い社を拝むとマムシ除けになり怪我もしないという話を幼少から聞いており、
田中氏自らが日清・日露戦争等ではサムハラ神社のお守りのおかげで無事生還したことから
第二次大戦中に兵士にお守りを贈り、そのおかげで生還した人や家族が戦後に大阪の神社に参拝するようになったことが大阪堀江のサムハラ神社のルーツだそうです。
遷宮前のサムハラ神社奥の院跡地が見どころ
金刀比羅神社の社殿右奥の山の中に分け入って行く坂道を進むと、頂上の展望台に続く上り坂の道と、平坦な山道への分岐があります。
近縁の町や山が一望出来る頂上の展望台もおすすめですが、
平坦な道の方を数十メートル歩くと遷宮前にサムハラ神社奥の宮があったひらけた場所に出ます。遷宮後も祠が残っているためこちらにもお参りされる方が多いようです。
祠へ上る石段は壊れている箇所もあり、石段とその先の祠へは立入禁止となっていますので石段の下からお参りしましょう。
この場所は神秘的な空気感に包まれていて湧き出るような力を感じられるとの口コミも。
祠まで上る石段の手前にある不思議な石「さざれ石」を神聖視する方も。
また奥の宮跡地のあたりには結界が張られている場所があり、凄まじいエネルギーとパワーを感じることができると言われています。
サムハラ神社で祀られる日本の最高神
「サムハラ」というのは、地上界が作られる前に、日本神話における天上の国である高天原(神様が誕生していく地)を治めていた
「天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
「高産巣日大神(たかみむすびのかみ、高皇産霊大神)」
「神産巣日大神(かみむすびのかみ、神皇産霊大神)」
の「造化三神」の総称で、この神さまが別名「サムハラ大神」と称されていたことに由来します。
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- 『天之御中主神』…古事記の中での最高神。天(=宇宙)をつかさどる神さま。日本国民の総氏神で最高神と言われている『天照大神』より以前に産まれた神様。
- 『高皇産霊神』…植物の生成力が神格化した神様。『天之御中主神』とともに最高意思を示す神として語られている。「むす」は「生成繁茂」を意味している言葉なのだそう。
- 『神皇産霊神』…『天之御中主神』『高皇産霊神』の次に高天原に現れた女神。『高皇産霊神』と対になっているため男女の「むすび」を象徴する神であるとも考えられている。
この世を造った神様として有名な天照大神などの神様の名前の親神にあたる存在であるサムハラ大神を祀る世界唯一の神社でもあるサムハラ神社が、他のパワースポットとは一線を画す存在である事が伺い知れますね。
サムハラ神社の不思議な噂
非常にアクセスが困難な場所にあり、神様に呼ばれた人だけが辿り着けると言われているそうです。
中にはしっかり計画を立ててお参りに向かった人でも、ご縁がなければ急用が入る、道に迷う、事故に遭う、カーナビの故障などで辿り着けなくなるケースが多発しているようです。
神様の不思議な力を感じますね。
他にも以下のような理由からたどり着きにくい神社として有名なスポットだったようです。
・最近まで看板がなかった
・路線バスがない
・最近までGoogleマップやカーナビに登録されていなかった
・携帯も圏外になる事が多い
訪れる際の目印は『金刀比羅神社』。この境内に奥の院があります。
サムハラ信仰の歴史
織田信長の安土城が出来た年である天正9年(1581年)今の津山市加茂町中原にある日詰山に築かれた落合城に羽柴秀吉の家臣木下備中守宮部善祥が駐留していました。
落合城 http://www.hb.pei.jp/shiro/mimasaka/ochiai-jyo/
落合城にサムハラと神字で書かれた石碑がありました。
その石碑を拝み、その神字を紙などに写して身に付けた武者は矢や鉄砲の弾が当たらないということで熱心に拝まれており、さらには災厄除けとして拝まれていました。その後本能寺の変で織田信長は世を去り、羽柴秀吉は豊臣秀吉となり太閤となり、さらには関ヶ原の戦いで徳川の天下となり江戸時代が1868年まで続きます。その300年間もサムハラの護符は地元の人々に信奉されていました。
そして江戸時代が終わった明治元年、サムハラの石碑の地元に田中富三郎が生まれます。田中少年は地元の他の子どもと同じくサムハラを信奉していました。そして青年となり徴兵で日清日露戦争に出征。特に日露戦争ではロシア軍のトーチカでの機関銃攻撃による激戦で多くの犠牲者がある中、田中富三郎青年は無事に生還。田中氏はこれは郷里で子供時代から信奉していたサムハラの護符を身に着けていたお陰だと信じました。
その後田中氏は大阪に出て事業で成功。自分を育ててくれた郷里に恩を感じ郷里にある小学校の加茂西小学校に毎年のように寄付を行い、加茂西小学校には豊かな設備と蔵書が整うようになりました。
その後田中氏は事業で成功を収め岡山県から大阪府へと移り、昭和36年(1961年)に大阪府大阪市の西区にサムハラ神社の本殿を建造しました。
サムハラ神社奥の院のお参り作法
まず裸足になって、右足左足と順番に写真にある石の真ん中に足を乗せます。
この時周りの石の部分は熱いのに、真ん中の鉄の部分は冷たく感じられるそうです。
裸足のままで階段上ってお参りをします。
(しっかりと鈴を鳴らして、柏手もしっかりと打つ)
サムハラ神社奥の院で御朱印をいただくには?
サムハラ神社奥の院には社務所などはなく基本的には無人となっています。
そこで御朱印をいただくには「金刀比羅神社」の社務所にお願いすることになるようです。
しかしながら金刀比羅神社の社務所も正月や以下に示す祭事の時などでないと開いていない事があるようです。
金刀比羅神社の祭事
- 祈願祭(年始め):元旦~3日
- 豊作繁栄(春祭り) 4月10日
- 難病除(夏祭り) 7月10日
- 大祭(例大祭・秋祭り) 10月第2日曜日
- 年の礼祭(年末祭り) 12月10日
- お焚上祭 12月23日
金刀比羅神社の拝殿横「御朱印」書かれた張り紙を確認する事ができ、こちらには「毎月1日の午後は社務所が開いている」と記載されていますが、口コミではこの時間に行っても不在の場合が多いとのことです。
どうしても御朱印が欲しい方は事前に以下の問い合わせ先に電話するのが堅実でしょう。
金刀比羅神社
所在地:津山市加茂町中原899
電話番号:0868-42-4357
営業時間:見学自由
アクセス
住所:岡山県津山市加茂町中原900-3
アクセス:美作加茂駅から徒歩約35~40分 タクシーで5~6分
電車でのアクセスなら美作加茂駅から加茂タクシーなど地元のタクシー会社を使うのがおすすめです。*片道約1300円
タクシー予約の際にサムハラ神社奥の院にお参りすることを伝えると、神社に関する資料を用意してくださったり、参拝客向けのサービスも行なっていただける場合があるようです。
駐車場:金毘羅神社のもの利用可能。
まとめ
その歴史やお祭りする神様など、確実にご利益のアリそうな凄みが感じられますね。大阪からは少し距離がありますがサムハラのご利益を最大限にいただくにはぜひ訪れたい場所です!